「新しい生き方へ」  07.01.21
              使徒言行録22:1〜21

 イエスさまは、「わたしは道であり、真理であり、命である」
(ヨハネ14:6)とおっしゃいます。私たちの信仰生活は、その道を
進んでいくことです。その道の上に立って、考え、思い、語り、
行い、生活をしながら進んで行きます。 イエスさまという道の
上を進み始める以前は、どのような道を進んでいたのでしょうか。
 パウロは、「自分の道」を進んでいました。
 自分の心に従い、正しいと思ったことを、熱心に、真面目に行い
ながら進んできました。しかし、その道を振り返ると、人を傷つけ、
殺すことさえするような道でした。パウロは、自分のたどっていた
道の脆さ、不安定さを痛感しました。聖書は、人が自分で進む
道の危うさを見抜いています。人が思うが侭に進むと、残念な
ことに、罪に突き進んでしまいます。幸いパウロはイエスさまとの
出会いによって、自分の足を置き、立つ場所を、自分の道でなく、
イエスさまの道に置き換えることができました。そして、新しい
生き方を始めることができました。
 その際、地面に倒れ、眼が見えなくなる体験をしなくては
なりませんでした。自分の罪に気づかされ、自分が立てず、
見えない者でしかないことを知らされます。
 しかし、そこにこそ、イエスさまの声が響きます。倒れる者を
責め立てる言葉ではなく、ご自分の道へと招こうとする呼びかけの
言葉です。
 罪を知らされても、そこで倒れたままでいることはありません。
 イエスさまは、起こしてくださいます。そして、イエスさまの
招きが、新しい道に踏み出す勇気を与えます。
 信仰者として歩みながらも、自分の思う道を進もうとする心が、
繰り返し出てきます。道に迷い、時にイエスさまに従うことに抵抗
します。
 聖書は、迷ってはならないというのではありません。
 パウロもそうだったと語りかけてくれます(17節〜)。
 迷うからこそ、イエスさまの道をたずね求め、祈りつつ
進みなさい。
 繰り返しイエスさまの道に立ち返りながら、一歩ずつ
進んで行ったら良いよ、と語りかけてくれるのです。